こんにちは!かっきーです。今回は、看護師さんの悩み第6位【患者さんと信頼関係を気づけなくてつらい】を分析していきます。まず、看護師たるもの患者さんから信頼を得るのは当たり前、出来て当然なんて思っていませんか?人の悩みの9割は人間関係に原因があると言われるほど、人と人のかかわりはとっても難しいもの。まずは「信頼は得られなくて当たり前」と思い、気を楽に持ちましょう!自分の考えや行動に自信と根拠を持つことが、人から信頼される第一歩です!
【この記事を読むメリット】
- 患者さんに信頼されるコミュニケーションの本質が理解できる!
- 「話し方」や「聞き方(傾聴)」などのテクニックで失敗した人は、そのテクニックの正しい使い方が分かる!
- 患者さんも同僚も恋人や家族も、どんな人と接するときも応用できるから人間関係が豊かになる!
- 記事を読んでもわからないことが有れば個別に質問・相談できる!
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看護師の悩み【業務編】6位患者さんと信頼関係を築けなくてつらいの対処法!
看護師さん含め医療のお仕事もサービス業であるという見方が一般的になり、看護師さんも看護業務である診療の補助・療養上の世話に加え、患者さんへの接遇サービスも重要な業務の一つになっています。
コミュニケーションの得意不得意は生まれもたったものではなく、学ぶことでどんな人でもスキルを磨くことができます。ですから看護大でコミュニケーション学の授業があったり、病院でも患者応対の研修を経験した看護師さんもいらっしゃると思います。
しかし、それでもなお接遇を苦手とする看護師さんが多いのが事実で、日常業務の大きな悩みの種の一つになってしまっています。
なぜコミュニケーションスキルを学んでも患者さんとの信頼関係を築くことができないのか。私は、コミュニケーションを技術やテクニックとして学んでしまい、根っこにある本質的な「人間理解」がされていないからだと考えます。
この記事を読んでいただければ、単にテクニックではない、信頼されるコミュニケーションに繋がる人間理解ができます。ちょっと難しい話も出てきますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。
大前提:接遇のコツはたった一つ、「他者意識」を持つこと
いきなりですが、皆さんにとって「最近」とはいつ頃を指しますか?
ここ一週間くらいと答える人もいれば、2、3か月という人もいます。私にとっては、2010年以降はもう最近です(笑)。文脈にもよるでしょうが、「最近」というたった2文字の言葉ですら、使う人によって取り方に大きな差が出るんですよね。
同様に、同じ刺激を受けて「痛い!」とキレる人もいれば、「このくらいなんでもない」と平然としてる人も居ます。同じニュースを見て泣く人もいれば我関せずでスマホをいじっている人もいる。人間同士は、同じに見えてそれくらい分かり合えないものなのです。
特に今は高度情報化時代、SNSやYoutubeなどで自分の好きなことだけ選んで、好きなものだけに囲まれて生きることができます。その分、ちょっとした好みの違いが大きな情報の差、考え方や価値観の差に表れてしまいます。
結果、思いやりの概念も変わってきたのです。今までは「私がこうされたら嫌だからあなたにもしない」が思いやりだと言われてきましたが、今は「私はこうされたら嬉しいけどあなたは違うかもしれない」と考慮することが大事な時代になってきているのです。
つまり、思いやりの正体は「自分と相手は全く異なる存在だと認めること」なのです。違うからこそ、自身の言動・態度・身だしなみが、相手にとって不快かもしれないと省みる。この人にとってはどう映るんだろう?と。
そして、私とあなたが違うんだから当然AさんとBさんも違います。Aさんが好意的に受け取ってくれたけどBさんも同じとは限らない。それが分からないと、Aさんが好印象を持ってくれたことを意気揚々とBさんにも行って、不満顔をされて「なんでだろう」と思い悩んでしまいます。
コミュニケーション能力を磨きたい、聞き上手になりたい、、そうして人間関係を良くしようと努力している人ほど、「相談に乗るときはアドバイスするよりも聞き役に徹しよう」「聞くときはオウム返しをして聞いているサインを出そう」など、コミュニケーションのマニュアルを求めてしまいます。
しかし、人と人は違うのです。Aさんに好印象だった言葉がBさんにも響くかはわからない。だから、どんな人にも当てはまる絶対の正解なんて存在しないのです。
ですから、「こんな時はこう言おう」「聞くと話すの割合を7:3にしよう」なんてテクニックを学び、誰にでも同じように接しようとすること自体が、実はコミュニケーションの失敗原因なのです。
コミュニケーションの正解を強いて言えば、「人と人の違いを理解し、常に相手を観察すること」です。今目の前にいる患者さんはわたしに何を求めているのか、わたしとはどこが違うのか、この方は何に喜び何に悲しむんだろう、、、そんな風に観察を続けていれば、必ず患者さんから信頼される、思いやりある接遇に繋がります。
人それぞれとはよく使われる言葉ですが、大切なのは根っこから理解することです。ですから、この後の段落で「いかに人と人が異なる存在なのか」を示す根拠を紹介していきます。ちょっと難しい話になってしまいますが、ご一読いただけると幸いです
私とあなたがこんなにも違う理由
では、なぜ人と人はそんなにも違うのでしょうか。
大きな原因の一つは「人間は何十万年の歴史の中で積み重なった本能的な何かに、生まれながらにして規定されている」からです。
西洋では、近代まで人間の本質は理性だと考えていました。理性とは「物事を道筋立てて論理的に考える能力」のことです。そして、道筋立てて論理的に考えると、皆が同じ結論に達します。数学の公式や物理法則などは、まさに理性によってたどり着いた結論です。誰が考えても、1+1は2になります。
感性は人によって答えが変わってきます。菅田将暉を格好いいと思うかどうか、フワちゃんを面白いと思うかどうかは人それぞれですよね。その感性の対義語が、理性です。
ですが、20世紀以降になると、理性によって出した結論、つまり数学や物理法則によって導き出された結論が人間を幸せにするとは限らないとわかってきました。物理法則によって生み出された兵器で多くの命が奪われたり、物質的な豊かさが精神的な豊かさに繋がらないとことが分かってきたんです。
なぜそんなことが分からなかったかというと、近代は「人はみな同じ」という考えが前提にあったからです。人はみな同じだから、同じ結論を導き出せて、その結果は誰にとっても同じ幸福をもたらす。そう考えていたのです。
しかし理性への疑いから、人がみな同じであるという信頼も崩れていきます。
何かとは、例えば言語だったり、無意識だったり、構造だったりします。自分の考えは生まれたときから今までの自分の経験や出会い別れて人たちだけで出来ているわけではないんですね。
人文科学のお話になってしまいますが(かっきーは人文科学科卒業です♪笑)、知っておくと分かり合えないときのイライラやもやもやも消えて、違う考えを「そういう考え方の人も居るよなぁ」と認められるようになります。少し難しい話になるかもしれませんが読んで頂けると嬉しいです!
人は無意識によって規定されている!byフロイト/ユング
フロイトは、ヒステリー(脳や神経に異常が無いにも関わらず、声が出なくなったり身体が動かなったりする身体の機能的な異常が起きたり、意識を→記憶を失こと)の患者に催眠療法を施します。
すると、ヒステリーの患者は催眠状態で、意識下では全く語ることのなかった自身の物語を語り始めたのです。そして、催眠が解けると患者自身がそのことを全く覚えていませんでした。
この結果から、人間には自分の意志でコントロールできる領域の他に、コントロールできない無意識の領域(知覚はできないが、確かにこころの奥底にある領域)があることを発見します。そしてそれは、無意識の領域は幼少期からの周囲のこうするべき・こうあるべきという道徳的規範によって自分の意識が追いやられて形成されると考えました。
また、彼の信望者の心理学者ユングは、ある精神分裂症患者が彼が経験したり読んだりするはずのないギリシャ語の古代宗教の祈祷書の内容に似通った内容を自身の体験として話したことで、(フロイトの語った幼少期の抑圧のみでなく)人類に普遍的な先天的な無意識領域が存在すると考えました。
そして、彼らは人間には無意識領域があり、我々が普段している発言や行動も実は無意識の影響を受けていると考えたのです。
この考えは現在(立証するのは難しいものの)通説的な支持を得ています。
人は言語によって規定されているbyソシュール
日本人はよく「はっきりとものを言わない」「感情を伝えるのが下手だ」「なんでもあいまいに済ませようとする」などとアメリカ人など英語文化圏の方からお叱りを受けます。
日本人は確かにはっきりと言うことを避け、言い争いを避け平穏にことを済ませようとする性質が有るかもしれません。
しかし、実はそれは日本人の性格の問題ではなく、言語体系の影響がとても大きいのです。
例えば、日本語で「彼氏と別れた」と言ったとしても、別れたことをどう感じているのか、悲しいのか、むしろ清々しているのかは、言葉からは窺いようがありません。
一方、「彼氏と別れた」を英語にしようとすると
I broke up with my boy friend.
I have broken up with my boyfriend.
のどちらかを選択して表現しなくてはいけません。
そして、どちらを使うかで、その意味合いは全く異なってきます。前者は過去形を使い「彼氏と別れて、今はその彼氏のことがどうでもいい(吹っ切れている)」という意味で使っています。逆に後者は現在完了を使い「彼氏と別れて、そのことが今も胸の中に大切に残っている(悲しい)」という意味で使っているのです。
このように、英語は事実に加えて自身の感情や主張を同時に表現するような言語体系になっているのです。日本語は逆に、「察し」という言葉がありそれが出来ない人は「KY」と揶揄されるように、感情と事実を切り離して表現する言語で、言葉に表現されていない深層を読むことが要求される言語体系をしています。
ですから、英語を使い日々暮らしているアメリカ人は当然のように感情や意見をはっきり伝える(伝えざるを得ない)ようになりますし、日本人は言葉の裏を読み、相手にもそれを求めるような性質を持つようになるのです。
そのように、普段使っていることばが人の意思決定や思考回路にも影響していると考えたのがソシュールです。
彼の考えも広く支持を得ています。何も英語と日本語という大きな違いだけでなく、普段使う言葉も無意識に自分の性質を決めるものです。言葉遣いを幼少期から厳しく指導され丁寧な言葉遣いが出来る人は行動やしぐさも礼儀正しくなるものですし、逆もまた然りです。
人は構造によって規定されているbyレヴィストロース
個人は皆自由で、自由な個人が集まって社会をつくり、能動的に歴史を作り、その過程は進化であるという西洋の考え方を批判し、社会には見えない構造があり、個人の考えはその構造によって決定されていると考えたのがレヴィストロースです。
もし人が皆自由な発想を持っているのなら文化や政治、宗教や言語などは多様化し、完全にオリジナルな要素であふれているはずです。ですが、例えば接点の無いはずの世界中の民族の神話の中で「父殺し」のエピソードが存在するなど(ちなみに映画『スターウォーズ』もこの父殺し神話を基にしています)、まるで誰かが原型を作り世界中の文化に配信したような共通性・類似性が有ります。
レヴィストロースは西洋の進歩史観を批判することに主眼がありましたが、人間が完全に自由意思で考えて行動しているわけではないという思想は、わたしたちの人間関係の考え方にも大きな示唆を与えてくれます。
考え方の違いも無理に説得しない。違って当然と受け入れることが大切
無意識、言語体系、構造、、このような要素に私たちは無自覚に規定されています。それに加え、現代は他人と分かり合うことを妨げる社会が加速しています。
SNSで趣味や考え方が違う人を簡単にブロックできる自分だけの世界を作り、たまたまついているテレビではなくYoutubeやNetflixで好きなものを選択してみる時代です。見るものや触れるものがかつてないほど個別化・多様化してきています。
だからこそ、互いが全く違うと理解することが、より大切になってきているのです。
例えば、コロナ対応の例。第一波の頃から盛んに繰り広げられた、完全自粛派と経済重視派の討論、食い違い。結局最後まで分かり合えませんでしたが、この対立も実は個人レベルではなく、過去何万年にわたる人類の歴史の中で必然的にできた分類構造なのです。
互いがそれを理解し、違って当然という気持ちが有ればもう少し冷静な議論が出来た気がします。
何万年も昔、例えば何か新しい木の実やら貝やらが見つかったとき、あるいは新しい土地が見つかったとき、生き残ったのは「リスクを冒しても先にチャレンジした集団」と「人が試すのを待って安全を確認してから自分もその利を得ようとした集団」の二つです。
今生き残ってる人類の多くはそのどちらかの子孫なわけです。経済優先派は前者の子孫、完全自粛派は後者の子孫。個人の考え方以前に、ご先祖様の生存戦略の違いなわけです。
先祖代々、その考え方で生き残ってきた、遺伝子にとって絶対の正解なわけです。そのような根っこにある価値観を変えることは極めて困難です。
どんなに話し合っても考えが合わなかったときは、個人レベルの問題ではなく遺伝子レベル、何十万年レベル生存戦略の違いが有るんだなと思ってください。
人と人の違いを理解するとは、なんとなくではなく、そこまで深いレベルで、如何に自分と他人が違って、如何にそれが当たり前なのかというのを理解することです。
そのうえで、じゃあAさんはどうなんだろう、Bさんは何を求めてるんだろうと観察する意識をもって初めて本当の意味での思いやりが可能になります。
その意識が持てれば、どんなに嫌に思う人でも、
『本当は「Aさんは私は昔厳しく𠮟られたことで成長できたから、〇〇さんにも心を鬼にして接しよう」と思っているのかもしれない。絶対に嫌な人なわけじゃなく、考え方が合わないだけ、しかもそれは無意識や構造の影響を受けた、どうしようもないことなのかもしれない。幼少期に受けた何かしらのトラウマから人に不信感があるのかもしれないし、人間不信が染み付いてるのかもしれない。Aさんが私を嫌いでしているわけではない』
と思える余地が自然に出てきます。そして、その人には大切な人がいて、その人を大切に思う人も居て、きっとその人にとってはとてもやさしい人かもしれない、、とあなた自身も優しい目を向けてあげることができます。
違いを認めることは、相手を許す力や自分が傷つかない力にも繋がるのです。
違いを認めることで効果が生まれる患者さんとのコミュニケーションスキル
①誠実な関心を寄せる
人から関心を持たれないほど寂しいことは無い
マザー・テレサ
世の中には、他人の関心を引くために、見当違いな努力を続け、その誤りに気づかない人がたくさんいる。
これでは、いくら努力しても、もちろん無駄だ。人間は、他人のことには関心を持たない。ひたすら自分のことに関心を持っているのだ──朝も、昼も、晩も。
デール・カーネギー
上記の名言が示すように、人は自分に関心を持ってくれる人に好意を寄せます。しかし、世に多く出ているコミュニケーション術の書籍に載っているような、相槌の仕方や傾聴の仕方などを表面的にとらえ相手の気を惹こうとしたところで、簡単に見透かされてしまうもの。
そのような技術も否定はしませんが、前提としてやはり自分と相手が根本的に異なる存在だと認めること、そしてだからこそ注意深く観察しようとすることが何最も大切です。相手は今どういう感情でいるのか、その感情の原因は何なのか、しぐさや表情、今までのコミュニケーションで得た情報などをフル活用して、目の前にいる人間を知ろうとすること、それがまさに「誠実な関心」の正体です。
そうして、主観的な判断を排除し観察や情報を基にした客観的に分析することが、どんな人とも円滑にコミュニケーションをとる唯一の方法です。
特に、人には基本防衛本能があり、つらいときや体調が悪いときはその本能が強まります。患者さんは基本的に心のシャッターが下りている状態なのです。
ですから、態度が悪い人が居ても「余裕ないんだろうな、仕方ないな」と寛容でいて欲しいですし、この患者さんにとってのシャッターを上げる言葉は何かなと観察しながら声をかけてあげて欲しいのです。
違いを認めることで効果が生まれる患者さんとのコミュ二ケーションスキル
②発信のスキル
さて、相手の気持ちや考えが分かると、今何を伝えるべきかが分かるようになり、適切な言葉を掛けられるようになります。しかし、伝え方を間違えてしまうと、せっかくの相手理解も水の泡。相手に情報を正しく伝えるスキルも学びましょう。
1相手の関心や理解度、環境を意識しながら発信をする
自分のことばがどの程度伝わっているかを探りながら話すスピードや使う言葉を変えていきましょう。しぐさや表情から相手が今自分の話にどれほど関心が有るのか、理解しているのか、どういう気持ちで聞いているのかを判断します。指先が遊んでいたり目線が定まっていなければ関心が無いサインです。話題を変えた方がいいでしょう。
患者さんに好かれたかったり、患者さんの気持ちを前抜きにしようと思ってコミュニケーションを図っているのであれば、話題も相手の好き・得意に合わせるのが得策です。
また、コミュニケーションの環境も考慮しなくてはいけません。病状は安定しているのか、入院何日目か、ご家族のお見舞いはいつ有ったかなど、コミュニケーションの環境に合わせて話す内容・話し方・話すスピードも変える配慮が必要です。
話のネタとしては、患者さんの相手の得意分野でアドバイスをもらうのがおすすめです。例えば「うちの母はもう膝が痛いみたいで、Aさんみたいに元気に歩ける秘訣有りますか?」って聞いたり。
2重要なことは、患者さんの聞く力に合わせた説明をする
日常会話では必要ありませんが、薬の飲み方の説明、今後の治療方針など、重要なことを伝える際はPREPを意識した伝え方を実践すると良いでしょう。PREPとは
- Point :要点(結論・主張)
- Reason :理由(結論にいたった理由・そう主張する理由)
- Example:具体例(理由に説得力を持たせるための事例・データ・状況)
- Point :要点(結論・主張)
の略で、相手に理解させたいならこの順番で話をするといいですよという伝え方のルールのようなものです。
最初のPで最も伝えなくてはいけない情報を印象付けて、
Rでは何故ですか?と聞かれたと想定し、あらかじめ回答する意識です。
Eは数字と事実を使し、相手が感覚的・主観的に判断しているであろう問題を客観的なデータに落とし込むことが重要です。
一人一人は全く異なる存在、全員が異なるバックグラウンドをもっているので、同じものを見ても感想や意見は異なって当然です。しかし、意見は反論できても事実は反論できません。だから、説得したいときは互いに事実やデータを使って自分の意見に説得力を持たせることが大切なのです。
二度目のPは、再度要点を述べるのですが、理解力が低い人には最初と同じ言葉を、高い人には表現を変えると◎です。
ただ、私はPREPは誰にでも当てはまるものではないと思っています。むしろ、相手の理解度によって以下のように使い分けるべきだと思っています。
- 理解度が低い患者さん(高齢者など)には→PREPをそのまま使う
- 理解度が標準的な患者さんには→PREで終わる。再度のPは不要
- 理解度が高い患者さんには→PR。これらの人はPRを聞いた時に既に自身でEを考えたり浮かべたりしています。こちらが示す必要はありません
- 理解度が著しく低い患者さん(認知症患者さんなど)には→PP。この場合、結論の連打が正解です。彼らは話の中から要点Pを拾うのが苦手です。ですから、理由Rも具体例Eを示すことで、かえって要点Pの理解を妨げてしまいます。
このように、PREPを応用することでどんな人にもわかりやすい伝え方が出来るようになります。
違いを認めることで効果が生まれるコミュスキル③聴くスキル
聴くスキルは昨今の傾聴ブームで重要性が叫ばれ、医師やカウンセラー、アナウンサーやフライトアテンダントまで様々な人の書いた本が出版されていますが、そんなに難しく考える必要はありません。
聴き方のコツもやはり、自分と相手が全く違うという意識、これに尽きるのです。自分なりの解釈をせずに、相手のことばを相手のバックグラウンドのまま受け止め、そのまま話を進めさせてあげることが大切です。
例えば通院患者さんが「一昨日から三日連続で友達と飲んでてさあ」と聞いた時、お酒が大好きな人であれば「いいなあ」と思うでしょうし、嫌いな人であれば「うわ最悪」と思うでしょう。そのように、相手が同じ言葉を発しても、受け取り方のフィルター次第でどんな話にもなりえます。
しかし、カーネギー氏のことばのように人は他人ではなく自分に関心を持つ生き物。三日連続で飲んだ話をした人は、あなたの感想が聞きたいんじゃなく、自分の感想や体験を伝えたいのです。だから「いいなあ」も「最悪」も聞き方としてはNG、「そうなんですね」や「うんうん」と相手の話をどの方向にも限定しない相槌が100点の聞き方になるのです。
加えて、大切なのが「相手の感情が分かったらその感情に同調する」ことです。相手はあなたの感想は求めていませんが自分への同町は求めています。ですから「あ、3日連続で飲んだのはAさんにとって嫌なことだったんだな」とはっきりした時点で「うわあきついですね💦」と同調してあげましょう。相手の感情を知るためには、言葉を文字だけ追わずに、情景を浮かべながら話を聞くことがおすすめです。
話が長い患者さんへの対応に困っているという看護師さんや事務さんの話をよく聞きます。きにゃこさん、何かいい方法ありますか?
話好きな人が雑談で伝えたいのは事実じゃなく「自分」なんです。自分をわかって欲しいんですよね。なので、長い時間聞いていても漫然と聞いていたら満足しないし、ずっと話続けます。逆に分かってもらえたと思ったら案外すんなり話辞めたりします。だから、感情相槌はとっても有効です。ずっと「そうなんですね」「へ~」を繰り返すんじゃなくて、相手の感情に合わせて「それはびっくりですね」「辛かったですね」って、あなたの気持ちわかったよって伝えてあげると、満足して話し終えてくれたり♪
患者さんと信頼関係を気づけなくてつらい~まとめ~
「自分と相手が全く違う存在だと知ること」本当に何度も何度もしつこくて申し訳ないですが、コミュニケーションにおいてこれほど大切なことはありません。なんとなくじゃなくて、フロイトやソシュール、レヴィストロースの話のように文化的・社会的・遺伝的な違いにまで目を向けて違いを理解することが大切です。
特に、患者さんと看護師さんは立場が舞うで違いますし、看護師の常識と患者さんの常識の違いに敏感にならないとわからないことも多々あります。
また、この記事ではあなたと患者さんの一対一の関係に絞って患者さんとの信頼関係を作っていく方法に触れていきましたが、実際は病院全体や、もっと言えば医療制度・医療政策全体に不信感を持っている患者さんも少なからずいらっしゃいます。ですから、信頼関係の問題はあなただけで解決できる問題じゃないのは確かです。
例えば私も事務長をしている際、患者さんの中には保険診療のしくみを知らずに病院が(自由診療のように)自由に保険診療の手術や薬の値段も決められると思っていて「お前の病院はぼったくりだ!」とか「値引きしてくれ」と言ってくる患者さんもおり、びっくりしたことを覚えています。
しかし、逆に自身の病気についてネットや書籍、友人知人の体験談をもとに自身でじっくり調べてから来院される患者さんもいらっしゃる。
このように患者さんの理解度も様々ですが、今まではそんな患者さんの差異を無視して画一的な説明がなされてきたように思います。医療者が患者さんの理解度を考慮し、知識や理解に合わせた説明を出来るように努めないといけませんね。そうした積み重ねも、医療界全体の信頼を高めることに繋がっていくのではないでしょうか。
今回の記事を読んでもわからないこと、相談したいことがあれば、お問い合わせよりご連絡ください。記事を書いているかっきーが直接回答いたします。
【HOPE~看護師お悩み相談室~】
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【参考文献】
フロイト、無意識について語る, フロイト,中山元,光文社古典新訳文庫,2021
ソシュールを読む,丸山圭三郎,講談社学術文庫,2012
初めての構造主義,橋爪大三郎,講談社現代新書,1988
人を動かす,デール・カーネギー,山口博,創元社,1969